店主Sさんからこんなニュースを教えてもらいました。
結構、センセーショナルなニュースだと思います。 ============ [ロンドン ロイター] 英国では、俗に『ハッピー・アワー』と呼ばれるサービスタイム・キャンペーンを禁止することにした。『ハッピー・アワー』では、客は安くアルコール飲料を飲むことができるため、短い時間で酒を大量に摂取してしまう。今回の禁止措置は、アルコールによる暴力事件に対処するためだ。 英国ビール・パブ組合では、『ハッピー・アワー』や『飲み放題』といったキャンペーンを即時に禁止し、3万2000店の会員もこれに従うと声明を発表した。 英国ではここ数年、アルコールの暴飲が社会問題になっていて、多くの街の中心で、金・土の夜が実質上の立ち入り危険地帯に変貌してしまっていた。 「『10ポンド(2000円)で飲み放題』といった謳い文句や、飲み比べ競争は客に酒を飲み過ぎにさせることを助長しているので、我々の組合では撲滅させることに決定した」と英国ビール・パブ組合では話している。 「英国全土の政府・警察・ライセンス当局の支援で、我々は全パブを安全に運営させ、社会的責任を果たすことを目指します」 英国ビール・パブ組合は、英国全土5万9000のパブのうちおよそ2/3が加盟していて、他の団体も禁止令に賛同している。 『ハッピー・アワー』廃止の動きは、イングランドとウェールズの一部のバーの24時間営業を許可する事前許可制法の変更に先立っている。スコットランドでは、既に営業時間の延長をした。 パブの閉店時間と同時に酔っ払いが道に溢れる昔ながらのシステムが、酔っ払い同士の喧嘩や公共物の破壊、嘔吐などを横行させていたと政府は述べていた。アルコールの専門家や医師・警察は、飲酒を何時間もすることは、肝疾患や反社会的行為を悪化させると指摘している。 英国ビール・パブ組合では、酒を安売りするスーパーマーケットにも、この動きに同調するように求めている。 ============ そういえば、私がロンドンのパブで飲んでいたときにも、ちょうどハッピー・アワーが終わる頃、若者の喧嘩がありました。他の客のなかには面白がっている人もいたけど、店の人たちはピリピリしてました。 それと、1つ疑問が・・・常連の人たちは、何度か耳にしたことがあると思うのですが、Triple Crownの「ハッピー・アワー」構想ってどうなったんでしょう? 記事掲載サイト:CNNこぼれ話
店主からも記事を紹介してもらいました。
========= [ロンドン AP] 英国政府は7日、イングランドとウェールズで酒類を提供するパブなどの飲食店から、営業時間の変更申請を受け付け始めた。同国のパブはこれまで、夜11時の閉店が義務付けられていたが、営業時間の延長を申請することで、24時間営業が可能となる。 英国では夜11時にパブが閉まるため、閉店後に店の外に追い出された酔客が暴れるなどの問題が生じていた。パブの営業時間を延長することで、酔っ払いによる路上のトラブルを防げるとして、政府が改正法案を提出、施行された。 11月から営業時間を変えることができる。スコットランドでは別途、独自の法律改正を進めている。 ジョウェル文化・メディア・スポーツ相は、「この改正法は、決して1日中飲酒することを推奨しているわけではない。店の営業時間を状況に応じて柔軟に変更することで、閉店間際の暴力ざたを減らすことを目指している」と述べた。 また、営業時間の延長が認められたとしても、地域の住民や警察が反対すれば、地域の行政当局が営業時間を制限することができるとしている。 一方、改正法に反対する政治家や多くのマスメディアは、パブの24時間営業は英国の酔っ払いを増やすだけ、と批判している。 英国のパブなど3万軒以上の店舗が加入する組合調査によると、24時間営業を考えている店は、1軒もないという。 ========= そのうち、コンビニみたいなパブができるのかな? それにしても、閉店がなければ暴力沙汰もなくなるというのは、よくわかんないなぁ・・・。 参考情報 記事掲載サイト:CNN
日韓ワールドカップがあった2002年あたりから、都内を中心にイングランドやアイルランドにあるパブ(Public house)に似せた店構えの居酒屋が随分増え、その存在と楽しみ方の理解が急速に広まったと思う。今日は、いまさらではあるが、パブの歴史を紐解いてみようと思う。(サイトのテーマを考えれば、こういう内容は義務かもしれないし。)
(1) パブのはじまり 「パブのはじまりは、ローマ人がブリテン島を支配していた紀元前1世紀ころにさかのぼることができる。ローマ人は大陸と同じく、ブリテン島でも街をつくり、道路網を整備。 それに付随して現在のイン(inn)の前身といえるような宿泊施設ができた。この施設では、宿泊、食事、娯楽の3つの機能が提供され、最初のころのパブは、旅人のためのものだった。その後、ローマ人が去ると、ローマ人のつくった宿泊施設も衰退していき、そのかわり宿泊の機能は修道院などが果たしていくことになる。 そして、13世紀になると、イギリス国内で人々の移動が活発化し、道路網がさらに整備されるようになる。それにともなって、ローマ支配のころから細々と残っていたインの前身が、建物の1階が酒場の宿屋、いわゆるインとして姿を変えて発達していくのである。宿泊施設を兼ねているパブがあるのは、ローマ人の文化の名残りともいえる。」 (2)エールハウス・タバーン 「インが栄えてくるのと同じ頃に、エールハウス(ale house)が登場。エールハウスはビールを飲める飲み屋のこと。ここでもインのように宿泊することができたため、インとの明確な違いはない。このエールハウスの名前は11世紀頃からあらわれる。例えば、シェイクスピアの『ヘンリー5世』などにも登場する。現代英語ではエールハウスという言葉は、パブの古い言い方。このことは、現在インもエールハウスもパブの店名に使われていることからもわかる。 この他にインやエールハウスと並んで古くから存在したものに、タバーン(tavern)がある。現代英語のタバーンは直訳すると「酒場」といったところ。しかし、タバーンは本来、食事をする場所を意味し、食事を提供することが目的だが、食事ができれば、当然のようにお酒も飲むことになる、こうしてタバーンとイン、エールハウスの境界は限りなく不明確なものになっていった。タバーンという言葉もまた現在ではパブの店名として使われている。※横浜・目黒にある。 イン、エールハウス、タバーンの3つは、大雑把に言って、本来はそれぞれ宿泊施設・酒場・食堂を意味していた。機能の上でそれぞれ似通った側面をもちながら、何を第1の目的としてつくられたかという点で、微妙に違っている。これらの施設がパブリックハウス(パブ)へと変わっていく。」 (3)パブリックハウス 「パブは、元来パブリックハウス(public house)の略称。文字通り「公共の家」という意味だった。イン、エールハウス、タバーンが、単純にパブリックハウスに変わっていったのではなく、18世紀に登場したコーヒーハウスなどの要素が加わったのである。 コーヒーハウスは、これもその名のとおりコーヒーを飲む喫茶店。その名前からも想像できるように、コーヒーハウスではお酒はなし。 今では少し考えにくいことだが、このころロンドンではブルジョワたちの間でコーヒーが流行し、コーヒーハウスはコーヒーを飲みながら政治談義や商談に花を咲かせるブルジョワのサロンとしての性格をもっていた。人々の集まるコーヒーハウスでは、その地域のさまざまな出来事を取り仕切るといったことも行なったり、仕事を斡旋したり、争い事を仲裁する場所となっていった。いわば地域の寄り合いや公民館のような場所である。それだけにとどまらず、ブルジョワが集まったことにより、商人たちのための施設でもあった。 例えば、政府の圧力のかかった新聞などでは知り得ない情報が集まる場所でもあり、遠隔地貿易の隆盛によって、損害保険が始められた場所でもあった。さらに重要な特徴は、情報の集まる場所であったことから、いわば公的世論を形成する場所になっていったことである。王や政府に反対するブルジョワたちの集まる良からぬ場所としてコーヒーハウスの閉鎖令が出たほどで、そこで話されていたことの影響力の強さがうかがえる。このあたりにパブの公共性の源流を求めることができるであろう。 しかし、コーヒーの流行が終わってしまうと、コーヒーハウスはタバーンなどのいわゆるパブへと店の質を変えていく。もともとは宿泊施設、酒場、食堂であったものが、公共の場所としての性格を加えながら、「パブ」となっていったのである。 現在では単にお酒を飲むだけではなく、友人と政治やスポーツの話を語り合ったり、ひとりでゆっくりと飲んだりする場所であり、誰にとっても思い思いに過ごすことのできる心地のよい空間となっているのである。」 ※参考文献 小林章夫『パブ 大英帝国の社交場』 (講談社現代新書1118)講談社、1992年 臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る 近代市民社会の黒い血液』 (中公新書 1095)中央公論社、1992 ここ「TripleCrown」の居心地の良さも、そんな歴史に裏打ちされているのかもしれない。なんて考えるのも根拠がない訳ではない。というのも、店主はその昔、ロンドンのパブにもに入り浸っていたらしいから。。 < 前のページ次のページ >
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